自殺は日本で多いという報道を私はよく聞きます。私は鬱になった時、死にたいと思ったことがあります。しかし、死にませんでした。
何故死ななかったというと、実際に死んでみることを考えたことと死ぬのが怖かったからです。その2つのことをここで述べます。
実際怖いものだ
死のうと思えば手段そのものは簡単に思いつけます。屋上やビル5階の窓から飛び降りようと思えば自殺できる環境を見つけ出せます。首を締めるヒモを探すことだって日用雑貨店に行けば、簡単に見つけることは可能です。
しかし、命を自らの手でできるものでしょうか?私には出来ませんでした。自殺しようと思って、雑貨店の6階まで行きましたが、飛び下りるのが怖くなって私には完全に無理です。
落ちたことを想像したらと思うだけでその場から去りました。落ちたらどうなるかと考える時間ー体感では1時間くらいーが永遠に続くので。
落ちたら、歩行者もビックリします。ニュースにも取り上げれます。結果的に自殺者を育てた親として私の両親は苦しむでしょう。私の知り合いにも悲しむ人がいるでしょう。
鬱になって死にたいと思った時、家族のことを考える余裕があったことを考えると案外辛くなかったと言われるかもしれません。余裕がないので周りの意見や人の意見を聞く余裕はないものです。
ただ死んでみようと思うと、とてもではありませんが無理でした。死ぬってとても決断のいることです。
簡単に、楽に死ねるなら私は死んでいました。ただ私にとって簡単に死ねる方法はありませんでした。しかも死ぬことについて考える根気もありませんでした。だから今生きています。
首も両手でそっと掴んだことがあります。掴みと血管の鼓動が聞こえます。その鼓動を聞くたびに自殺する気力は無くなります。
そんなことを考えると自殺する気力がどんどんと減りました。
自殺した後のことを考えると自殺は無理
自殺する時に話題になるのが、自殺した後のことなんて知らないという意見を聞きます。しかし、自殺した後のことを考えないで自殺することは私には不可能でした。
死んだら、私はどうなってしまうのか?自殺しようと頭の中によぎれば1度ぐらい考えます。私は自殺しようと思った時、死んだ後のことを何度も考えました。
おそらく、残された私の家族は心に悲しみを覚えるでしょう。自殺した場所が家なら引っ越しするでしょう。地域の人から冷たい視線に晒されて、非社会的な行動に走る可能性だってあります。
葬式でもどんなことを思いながら式を進めるのか?もしかしたら自殺させてしまったことに永遠に悔やむかもしれません。
家族だけでなくアルバイト先の会社でも迷惑をかけるでしょう。私は同僚が自殺で亡くなったという話を聞けば、その日の仕事に間違いなく集中できません。もしかしたら、その会社にいることに不安を覚えて転職するでしょう。
私は両親が育ててくれてここまで30年間生きられました。誰だって子供の頃は両親に飯を食わせてもらいます。だから死にたくなったらせめて両親に人生の終え方を相談してもいいと思っています。
最初のスタートラインは誰だって母親のお腹です。人生の終え方を出発地点である母親のことを死ぬ前に私は思ってしまうので、死ぬことは出来ませんでした。
もしも本当に死にたくてどうしようもない気分になったら、母親に相談してからと私は決めています。何故なら私が1人で人生を歩んだわけではないからです。
まとめ:私には自殺無理
自殺は考える経験は私にはあります。しかし、実際に実行しようとしたら私には無理です。
怖いですし、母親のことを思うとと自殺するのではなく自分なりに生きてみようかなと思えます。以上です。