【書評感想】〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み

「誰も知らない真実の日本史」と言われると、ワクワクして読んでしまう人がいる。誰も知らないことを知り、特別感を味わう。ただ、私はこの真実の~というフレーズがとんでもなく嫌いである。

今回の本を読んだ理由は真実というフレーズが嫌いで読んでわかったことは真実なんて曖昧で説明できない、読んでどうするかは自説だけにこだわる本も含めて色んな本を読もうと思った。

何故、気付き、今後どうするかを3つに分けて今度も書きます。

何故:真実なんてあるわけないだろ、むかつく

その真実の~というテーマが何故嫌いなのか私は自分でももやもやしていた。説明できない自分にイライラするなら、その手の本を読んでみようと思ったら、まさしく探し求める本があった。

嬉しく感じて読んだ。だからこの本はみんなが思っていることを急に真実だと押しつけてくるのにむかついたら読んで欲しい本である。お前、神様でもないのに、真実なんてわかるのかよと不満なら読んでみよう。

気付いたこと:皆が納得する真実なんてない

はっきりとした真実なんてないということだ。抽象的なものは誰にでも答えを出せし出せない場合もある。そして、答えとしてもそれぞれの答えがある。その答えに皆が納得するわけ普遍的なものではない。

例えば日本人とは何だ?と問われたとしよう。私ははっきり言って答えられない。日本ってなんだろう?なんかよくわからないけど皆が納得しているモヤモヤした「日本人」という暗黙の中で生きている。

では、誰かが日本人は清潔で礼儀正しくモラルが高い人種だと答えたとしよう。しかし、反対意見を私は出せる。それは私が図書館まで通う時に、ちょうど空けた土地がある。そこではいつも捨てられた空き缶がある。

どう考えたって清潔ではない。ルールを無視して捨てている日本人が私の住んでいる地域にはいる。だから、日本人みんなが清潔ではない。

皆の中で日本人はこんな感じなのではと考えている。私のようになんだかよくわからないと感じる人もいれば日本人は立派だと感じる人はいる。日本人は自殺ばかりす自己肯定力が低い人種と感じる人もいる。

みんなそれぞれバラバラである。けどあまりにもその曖昧さの中で生きていると自分が何者か常に不安を感じる。だからとりあえずこんな感じだろうと胸の中に言語化されていない日本人をそれぞれの人が感じながら生きている。

二人に対する考え方はもちろん私の考え方だ。別に強制はしない。ただ強制されるのは私としては反対だ。

日本人論の本を読むと、やけに自分の日本人論を普遍的に当てはまる傾向がある。やれ、日本人は立派だの、日本人は勤勉だの、日本の世紀がやってくるだの、災害時に暴れない、絆の力だの。

いや、だからどうしたという話だ。それはあなたの理論であり、皆それぞれ異なった意見を持ちながら、なんとなく生きている。別に日本人論の統一見解なんて生まれるわけない。

皆がなんとなく思う緩やかな日本人がいればいいと私は思っている。

Sponsered Link

今後どうするか?とにかく色んな本を読む

「真実の~」というタイトルがよくある。内容は本を読んでみないとわからない。その本を読んで、自分の自説以外をコケにする本は非常にまずいと感じた。

というのも「真実のナントカ」は自説を絶対的な存在にするので、自分以外の考えをトンデモない理論としてまったく取り入れない。しかも自分の視点しかないので、理論も破綻する。

しかし、自説のみを強化するだけの真実のナントカ系と色んな視点、テーマから考察する本とではほとんどの場合後者がましである。前者は自説を否定されるとやけに攻撃になり、あげくには自分を褒めてくれる層を増やす、維持するための理論しか展開しない。

いわば、自説馬鹿になってしまう。こういった本は週刊誌にあるB級本と感じて読めばいいと私は思った。ただ、この手のB級本は読む人の昂揚感やわかりやすさを上手に取り込む。

じゃあ、どうすればいいと言うと、色んな人の作者、時代、地域、分野を読みまくることである。世の中色んな人がいる。見たくない現実があれば、衝撃の事実もある。色んな暮らし方もある。

多くの人は多くの生活体系、宗教を信じて生きている。多様性や違う視点から見た考えを知るために今後も読書しようと思える本だった。

まとめ:皆が納得する真実なんて曖昧

この本のタイトルである「〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み」の通りである。真実なんて曖昧なもので、なんとなくその幻想をそれっぱく見せるのが文系の科目全体に言えることかもしれない。

今回のまとめ

  • 皆が納得する真実なんてない
  • 色んな作者、分野の本を読む

 

コメント