オスマン帝国は13世紀の後半から活動を始めて、14世紀にその勢力を拡大させる。オスマン帝国がどうして小さい勢力から拡大した要因について書く。
権力の空白地帯から生まれたオスマン帝国
まず、2つの勢力が弱体化したことが大きな要因である。ルーム・セルジューク朝とビザンティン帝である。東のルーム・セルジューク朝は13世紀の前半にはその勢力を全盛期であった。
繁栄が続くかと思われた。しかし、東からモンゴルの急激な拡大に対応することになる。そう13世紀はモンゴルの世紀なのだ。
ルーム・セルジューク朝は1243年にモンゴル帝国との戦いに敗れて衰退する。アナトリアをほぼ支配していたルーム・セルジューク朝の衰退は大きく、少数の勢力が乱立する事態となった。
では、この地の西にありかつてアナトリアを支配していたビザンティン帝国は何をしていたかと言うと、こちらも大きく力を後退させていた。
第4回十字軍においてビザンティン帝国はラテン帝国により、コンスタンティノープルを追われる。1261年にコンスタンティノープルに復帰するも、アナトリアへの勢力を復帰することはおろか、領土を維持するだけがやっとだった。
では、モンゴルの勢力を何をしていたかと言うとこちらも問題を抱えていた。まず、ひとつはイル・ハン国(フレグ・ウルス)はマムルーク朝と周辺勢力と対立関係になった。西ははマムルーク朝、北はキプチャク・ハン(ジョチ・ウルス)でアナトリアへ直接乗り込むはできなかった。
それは、マムルーク朝、キプチャク・ハンも一緒だったかもしれない。
ルーム・セルジューク朝がモンゴルの拡大により、アナトリアでは権力の空白地帯が生まれた。その空白地帯を治める勢力は放置された。その空白地帯から大小多くの勢力が乱立した。
その乱立した諸勢力の1つがオスマン帝国だったのである。
空白地帯では勢力がいない。ということは力のあるものが自力で生き抜くものだ。安定した、頼るべき権力もいない。頼れるものは自力のみ。
オスマン帝国の建国神話ではもっともらしいことを書かれている。しかし、オスマンの建国神話は100年以上過ぎて作られたものである。
私はオスマン帝国は自力、武力で自らの勢力を拡大したことが始まりだったと考えている。
まとめ:誰もいないなら自立するしかない
無法地帯のまんまでは、そこに暮らしている人はたまったものではない。治安も悪いし、ろくに生きることもできない。
モンゴルの拡大によりアナトリアは戦国時代のような事態に突入する。そんな戦国時代さながらの時代の中でオスマンが現れるのである。