何故生きるのか?自分は生きている価値なんてあるのか?色々面倒だから死んではいけないのか?そんな疑問を私は考えていた。
まず自分の生と死について考えるきっかけになったのはこの本を読んだからだ。
この本の作者はどうせ誰でも死んでしまうし、死んだら終わりである。絶対的なこの事実からそれぞれ自分なりの死生観を考え続けなさいよと主張していた。だから俺もその主張を自分なりに検討してみた。
マイペースに生きるのみだ!
最初に結論を書いてしまう。考えた結果ひとつの答えを出せた。それは死にたくないからで死ぬのって大変なことだと私は思う。
生まれた時は自分の意志と関係なく親から生まれて、そして死ぬ。これは誰にでも当てはまることである。
死ぬことからは逃げられない。ゲームみたいにリセットしてセーブ地点から人生をやり直す、クリアしたデータを引き継げるならどんなに幸せかと私は思っていた。
誰かに殺してもらえるサービスなんて俺は知らない。だから死ぬなら自殺しかないわけだ。でもね、自殺怖くて無理だよ。
頭では死にたいと思っても実際死ぬなんてできない。死ぬ方法について考えるのも精神的にとても辛い。自分がどうやって死ぬかなんてどんなに考えても1時間が限界で、考えるのも嫌になる。
考えるのが嫌になって自分の死って考え始めるといくらでも考えてしまう日々が続いた。例えば自殺したニュースを見ると嫌になってしまう。
世の中には鬱になっている人、自殺する人は1万以上もいる。学校ではいじめの問題もある。自分はそういった問題を認識しているけども何も行動をしないで放置している。
思っても、なにもしていないのだからやっていないのと同じだと言われたら、まあそうだなと納得してしまう。なにもしない俺は無力だなと痛感する。
あまりに無力だから将来なにもできないだろうと悲観に暮れた。世の中で問題が起きているのに何もしない自分が嫌になって世の中から消えてしまうと思ったのは1度ではない。
死んで自分は終わりかと思う。どうせ自分は孤独であるし、給料も稼げない、世の中の問題は山積で不安は解消されない。
色々嫌なことがあって、ストレスが頭の中で一杯の時があったから死にたいと思っていた。
俺は死ぬほど嫌なことってそんなにあるのかなと思えるようになった。世の中嫌なことがあるし、自分の将来を悲観してしまっていた。
でもね、実際死ぬ行動には移せなかった。だって死ぬのって怖いよ。
死んだらもう何かも終わりだよ。なにか良いことがあるかもしれないよ。周りの人だって悲しむよ。
俺が出た葬式で死んだ人に泣いている人はいっぱいいた。だからね、死んで誰かが泣くなら私は死なないと決めた。
人間誰でも生まれて、死ぬ。この問題に対して私は死んだら誰かが泣くし、実際に死ぬのが怖いから生きるという選択を自分で考えて出した。
この答えは別に誰に押し付けるつもりはない。私が勝手に考えて、答えを出したことである。
まとめ:生きる方が楽
死にたくないから生きる。死ぬのは考えるだけでも疲れるし、行動に移すことすらできない大変なことである。
生きる方が私にとっては楽である。だから生きる。