心臓は勝手に動くので生きるしかない

何故生きているのだろうか?最近こんなことばかり考えている。考えるのも苦しいのに、どうしても悩んでしまう。考えても自分で納得のいく答えもなかなか出ないし、おそらく永久に答えはでないとわかっているのに考える。

で、考えた末に自分は不完全な人だと考えられるようになった。というのも人間の心と体は完全に一致しないことがあることを自分なりに体験したからだ。

どんな体験をしたかと言えば、私は生き物を犠牲にする生き方が嫌になっていた。魚だろうと豚、鳥みんな生きるために頑張っている。人間と同じように子供を育てて、頑張って出産もする。

おまけに人間達の活動のおかげで死んでしまうし、絶滅した種もいる。私はなんだか申し訳ないので、もう食べ物など食いたくないとその時は思った。

けどね、どんなに強く「食べ物なんかいらん」と思うとも、お腹が減る。お腹が減ると気持ち悪くなる。イライラして家族に辛く接しそうになる。

だから、私は御飯を食いたくないと心に思っても、生き物を食っている。豚や卵、魚を腹に入れるわけだ。

心と体が一致していれば、もうご飯なんか要らないと決心すればお腹は減らないはずである。けど私のお腹は減ったので、心と体は一致していないのである。

考えてみれば、どんなに生きたい、死にたいと思ってもその通りにならないわけだ。まずは生きたいと思う場合である。

生きたい場合

私はこんな話を聞いたことがある。障害を持ってしまった子供を出産した親は子供のことが心配で心配でどうにかしてその子供より長生きしようとする。

けど、子供よりも親の方が先に死んでしまう確率はどうしても高い。どんなに生きたいと思っても死んでしまうこともある。

歴史好きの私なら不老不死を願った始皇帝も結局死んでしまった例も思い出す。人間どんなに生きたいと思っても、その意志に反して死んでしまうわけだ。

死にたい場合

これは私の場合である。私は日本中で自殺者や鬱の人、いじめの被害者がいることに本当に嫌になった。その現実から逃げたくて、死んで楽になりたいと思ったことがある。

死にたいと思いつつ、道路を歩いていた。車が突っ込んでくれば幸いだなと思った。まあ、今こうしてブログを書いているから死ぬことはなかった。

起きたら目を覚めしたくないと思っても、勝手に目は覚めて日常が意志とは関係なく始めってしまうわけだ。ちょっと悩んでいるから、今週は自分の時間を止めて欲しいと願っても勝手に心臓は活動を続けてしまうのだ。

死にたいと思っても、その意志に反して生きてしまうわけよ。心で思っていることを実際に起こすのは大変であるので、心と体は一致しない不完全な人間だなと私は思っている。

Sponsered Link

仕方ないから生きるしかない

心の中で死にたいと思っても、人生は終了しない。人生は勝手に進んでしまうわけだ。勝手に腹は減ってしまうので、生き物を犠牲にしたくないと思っても食べるしかない。

野宿をしようにも俺の体は寒さと感じてしまい、結局家の布団の中で寝ることに快感を感じてしまう。まったく家が建つ前に住んでいた生き物に申し訳ないけど、寒いから仕方ない。

死ぬことはとっても大変である。考えるのも大変だし、思ってもその場で楽に人生は終了しない。飯を食わずに何も犠牲にしないで生きることなんて考えることも実践することも俺には不可能だし苦痛だ。

生きる方が楽なのだ。自分にとって好きなことを探して、満足感を感じて生きる。自己満足でしかないかもしれないけど、それが自分にとっての道なのかと思えるようになってきた。