英雄たちの選択を見た。個人的にはとても勉強になった。というのも応仁の乱といえば、日本の転換期となる象徴的なことだ。
応仁の乱で戦国時代が始まってしまうわけだ。しかし、いきなり応仁の乱が勃発するわけはなく、それまでの経過があるわけだ。
応仁の乱に至ってしまった原因がこの番組を見て、納得した。
政情不安と天候不順
古今東西、政治の不安と気候が不安定になると、社会不安が目に見える形で起きてしまう。天候不順と政情不安定は社会がもめる2大パンチみたいなものだ。
おまけにそれまでの負債がここで爆発してしまう。政情不安と天候不順から色んな社会問題が表面化してしまうのだ。
その2大パンチのひとつの政情不安定は将軍の暗殺と自分ファーストな大名達であった。天候不順は米が不作になり、格差社会を是正しない政権に農民が爆発し、結果的に東寺を占拠する事態に発展する。
では、政情不安についてまとめてみる
将軍なんか知らん!俺達は逃げる←腰抜けの侍が!それでも管領か!!
まず、将軍の足利足利義教が暗殺された。これが世に言う「嘉吉の乱」である。将軍が暗殺されてしまうなんて前代未聞の出来事である。
で、将軍足利義教は誰にも守れることもなく部下の人達は我先に逃げてしまったわけだ。将軍の補佐、NO2である管領細川持之も逃げた。
当然、持之を非難する声が続出。将軍を守らないで逃げんなよ!一緒に戦え、臆病者!などと言われてしまっただろう。
それにしても将軍を守らずに我が身大切さで逃げてしまう行動には驚く。時代は違うけど、桜田門外の変の時は彦根藩の浪士達は必死に直弼を守ろうと戦った。みんな雪が降る寒さに耐えながらである。
それに比べて嘉吉の変である。将軍を守らずに逃げることにびっくりだが、この時代の特徴なのだろう。
番組では室町幕府は欲で集まった組織と言っていた。仲間同士で命を助ける組織ではなく、己の損得で動く組織だったのだ。
将軍もなくなり、とりあえずの政治運営は将軍足利義教のことを守らないで逃げた細川持之がとりあえず足利義教の子供の義勝を第7代将軍に就任させて政治をするも、なかなか上手くいかない。
上手くいかない原因は嘉吉の乱の時、持之が逃げたからだ。武士と言うのは頼りがいのある奴が大事なのだ。弱みを見せてはいけない。だから我先に逃げた持之の権力は失墜してしまったのだ。
番組では井上さんが持ち之のことをかばっていた。持之だけでなく他の連中だって逃げたのだ。一緒だろと。
まあ、管領だからこそみんなの批判対象になってしまうわけだ。しかも誰だって自分を強く見せることで高く売りたかったであろう。だから、殊更持之の逃げ脚を非難したのだろう。
俺も逃げたけど、全部持之の責任にしてしまえということだろうか?
この時点でヤバイのだ。将軍が暗殺されて、緊急事態が発生する。しかもNO2の権力は失墜する。
この後更にトンデモない事態が発生する。そう嘉吉の変を首謀した赤松満祐が領国に帰ってしまうのだ。おまけに来たるべき討伐軍のために兵を集めて臨戦態勢を整えた。
おい、ちょっと待てよ!将軍を暗殺して領国に逃がすなんてありかよである。
これには磯田さんもびっくりである。
いや、私江戸時代の研究をしているけども、将軍を暗殺して領国に帰すか!この時代のアナーキズムを象徴している
(私の記憶は正確ではないけども、とにかくこの時代はカオスだという意味の発言をした)
まったくその通りだよ。江戸時代なんて吉良を切りつけただけで改易なのに、領国に帰って、臨戦するとかどんだけこの時代はカオスなんだよ。
しかもである。細川持之の討伐に山名持豊は首を振らない。自分を高く売るために、幕府からの高い恩賞欲しさで動いてくれない。結果として、赤松討伐の成果として持豊は赤松の領土を自分のモノとする。
将軍を暗殺されても動かない幕府。いや、普通トップが暗殺されたらその暗殺者を処罰するわけだ。どんな組織でもトップに危害を加えたら制裁がある。しかも危害を与えた行為としては最大の殺しである。
しかもこの事件は犯人が明白なわけだ。それは将軍を暗殺した赤松満祐である。組織としては絶対に制裁を加えるべき人物だ。でも室町幕府は即座に行動に移せなかった。
原因はわかっているのに、部下が報酬目当てでなかなか動けない。いや、自分ファーストな時代だ。
天候不順により爆発した社会不安
実は討伐軍を差し向けない原因が京都で起こっていた。それは土一揆である。農民達が己の力で借金を帳消しにしろと蜂起したのだ。土一揆が起きた原因として複合的な要因がある。
実はこの頃天候が不順により、作物があまり取れなかったようだ。今と違い科学が発展していないので、大変なわけだ。
しかも貨幣経済の発展により、格差が拡大する。金持ちとして酒屋、土倉が富を蓄えた。北の天満宮は幕府から酒造の権利を与えられ、富を得た。
この金持ちたちが借金に苦しむ農民達の怒りを買うことになった。
だが、貧富の拡大だけが原因ではない。武器の普及と馬借のネットワークも大きかった。
まず、武器の普及。この時代になると刀が大量に作れるようになり、槍も普及した。農民でも武器を所持できるようになった。政情不安で武器を所持できる人がいる。しかも政権は武器をどこかの誰がもっているか管理体制ができていない。
政権側と支配される武器の性能が均一化される。こうなるともう力がある人が暴れ出すと抑えることは難しい。
個人が力を持って、どうにかできる時代になってしまったのだ。
もうひとつは馬借のネットワークによる情報の力だ。実は土一揆は各地で一斉蜂起しないと駄目とのこと。個別なら幕府は鎮圧できたのだろう。
しかし、一斉蜂起するなら情報をやり取りする必要がある。それが全国の交通業を担当していた馬借である。馬借は全国の物を運ぶ人だった。
ということは各地の情報にも精通していたし、村同士のネットワークを支えていたのであろう。
ネットワークの拡大、武器の普及、格差の拡大、天候不順などが重なって土一揆が起こる要因だったのだろう。
京都の物量網を把握した一揆勢の数は3万も超えたという。一揆勢は当時を占拠。借金を帳消しにする徳政令を室町幕府に求めた。
ここで選択!徳政令を出すか?それとも武力で一揆勢を鎮圧するか?
ネタバレをすると持之は徳政令を出す。おそらく幕府の主力が赤松討伐に出かけていたからだろう。
徳政令を出してしまったことにより、ここから幕府は財源がなくなる。それはそうだ。いくら借金をしても力に訴えることで社会を変えられる前例を作ってしまったのだから。
いつ帰ってくるかもわからないから当然金利は高くなる。更に一揆は頻発する。金を徴収できないから、インフラへの投資ができない。
弱い幕府は更に弱体化して、応仁の乱へ突入する。
で、私ならどっちを選ぶのかだけど、武力で鎮圧するである。天候不順で作物は取れない、山名は態度でかい、一揆は起きるわの問題山積である。
細川の兵力を掻き集めて戦う。で駄目そうだったらもう領国に帰る。領国に帰って自分の好きな政治をする。
幕府なんかもうどうでもいいで帰る。なんだって俺だけこんな文句を言われるの。みんな逃げたじゃん。俺もう知らんである。
細川持之は幕府のゴタゴタぶりを知っているのだから、一致団結してくるわけないと思えるし。
うん、俺なら一揆軍を鎮圧する。鎮圧したらそのまま管領として頑張る。鎮圧が無理ならもう領国に帰る。中央の混乱から逃げるのが良さそうだ。
現代から学べること
この時代はみんなで自分ファーストなわけだ。磯田さんは日本史は「公」と「私」に大きく傾く時があると言う。
公の時代は江戸時代の安定期で慣習や前例を大事にしすぎる社会。私の社会はこの嘉吉の変から始まる戦国時代であろう。
どっちがいいのかはわからんけども、今の時代は私の方であろう。ネット社会、AIでありえないほどの資産を個人で儲けられる時代が到来した。
今の時代に有徳人のように格差の下にいる人に金を恵む人がいればいいけど、中々そういう人はいない。みんなでやりたいことをして、自己責任だと片づける。
富を再分配できるシステムを作らないで技術革新が起これば、さらなる格差の拡大により社会が私の時代になるかもしれない。
これで気候変動、災害、移民問題、人口問題、年金問題、宗教問題もある。先送りにしまくっているけど、多くの社会不安が複合的に組み合わさることで予想不能なことが起こる。なんだか悲観的になってしまうね。
まとめ:いつだって事件が複合的
将軍暗殺事件で腰ぬけだとスケープゴートにされて権力失墜の細川持ち之では、大名達になめられる。
しかも将軍暗殺問題の処理だけでなく、経済格差、天候不順、武器の管理問題、支配される側のネットワークの拡大、もう問題が山積状態の先送り。
そして応仁の乱での破局。
どこかで問題を解決しないでいると予想不可能な起こってしまうことを学んだ。