楽に生きるのは諦めることだ

実は私は楽に生きたいと思っていた。ブログも読書も最初は楽に稼げる方法がないかなと思ったのが理由だ。

あくせく働いて生きるのって大変で週5日も働くのは自分にはとても辛かったから。しかも俺って人と話すのが好きではないからすぐ孤立するので。

金さえあればいいと最初は思った。だけどもう最近はお金は要らない。諦めた。生活もなる様になってしまえと開き直っている。

金はいるけど

最初はブログで金を稼いで楽したいという気持ちはあった。あったけどどうも嘘くさいと感じた。結局努力しなければいけないのかと。

だから人より賢くなって色んなことを勉強しようと思った。資格や経験があれば収入は増大する。でもね、努力するうちに思ったのよ。

金って偏差値と同じだなと。金って要は誰かの評価を数値化したものだ。世の中偏差値が全てではないけど、世間で良い学校って偏差値が高い人が合格しやすいシステムなわけだ。

だから金って世間でもっとも評価しやすい基準なんだよ。なんかお金のために色々努力していると受験のことを思い出して嫌になった。

努力していることは自分のためではなく、社会に迎合するためにしていると思うと努力するのがストレスになった。

もちろんお金は必要だ。ないと飯が食えなくて死んでしまうし、エアコンもない家に住んで難儀する生活を送るかもしれない。だか思った。

別に死んでもいいじゃないかと。

色々諦めた。

私は色々諦めるために努力してみた。まず恋人や家族のことをどうしようか将来のことを考えた。

今は夏休みなので家族連れの人が多くいる。そういった人達と自分を重ねてみた。まず子供のことを考えた。

ある子供は親の目を盗んで階段で遊んでいた。それを見て私は危ないと思った。心臓が飛び出るかと思うくらいだった。

そういえば子供は信号無視してしまうこともある。(まあ、子供でもなく大人もやるけど)

子供って元気でかなり無茶をする。そういった姿を見ると私は怖いと思う。無邪気でいいけど、世の中色んなことがある。案外大怪我をする。

結婚したら子供を産むかどうかって大変な決断だ。だが、子供の遊んでいる姿を見て、目を離さずに子供の面倒を見るのって大変だ。

仕事だってあるし、自分の時間もある。子供って100%向き合うのって無理だな。

しかも子供を取り巻く環境って両親やその子供だけで思い通りに制御できることって少ない。学校でいじめにあう、通学路でひかれる、学校で犯罪が起きる、食中毒にあたる、ひきこもる、可能性はゼロではない。

そういった時に子供と家族に向き合う余裕って俺にはないと諦めた。だから子供は諦めた。

次は奥さん。子供を諦めたのだから結婚も諦めている。実は子供のこと以上に私は結婚もしたくない。

というのも出産した子供に障害があったらどうしようと不安になるからだ。出産って女性が主役である。男は補助だ。

出産した子供が健常者である絶対の可能性ってない。自分のことだけなら仕方ないなと思えるけど、奥さんと子供2人もこともある。

しかも精神的に余裕がないので、子供のことで精神的に病む危険性は高く、誰かに当たり散らす可能性がある。それって奥さんのことをもの凄く苦しめる行為なわけだ。

だから、私は結婚を諦めた。覚悟もないなら結婚は諦めた。

自分のことについて。今は両親と兄と一緒に住んでいる。一応アルバイトと畑仕事をしている。

しばらくは両親の金もある。まあ先はないけど。

金がなくなって死ぬってことは誰からも必要とされないということだ。なくても生活保護があるし。死にはしない。

もらえる気力もないならそこで人生終了である。終わってもいいのだ。どうせ1人死んだところで大したことない。

なんとなくやって死んだ。虫のように。けど私は誰にも葬式をあげてもらいたくない。

虫が死んでも私はお墓を建てない。虫のように死んでみたいのが理想だからお金も要らない。まあ両親が認めてくれないので、なんとなく生きている。

自分の生き方なんてどうなるかわからない。その人のしたいことが何かが基準なんだから。

まあ、私は図書館行って本を読めればそれで満足だ。周りがなんという言おうが知らん。色々考えて開き直ってしまっていいのだ。

参考にしたサイト・本

コメント